
昭和の名作ドラマが風景を変えた
長野県安曇野市。この地には、ほかでは見られない「水色の時道祖神(みずいろのときどうそじん)」と呼ばれる石仏があります。名前の通り、「水色の時」というテレビドラマにちなんで建立されたこの道祖神は、地域の信仰とドラマの感動が融合した特別な存在です。
1975年に放送されたNHKの連続テレビ小説『水色の時』は、安曇野を舞台に、少女の成長と家族の絆を描いた感動作でした。主演は大竹しのぶさん。当時10代の彼女が演じたヒロイン・朋子は、母を亡くし、さまざまな苦悩を抱えながらも、安曇野の自然と人々に支えられて心を育てていきます。
このドラマが多くの視聴者の胸を打ち、安曇野の美しい風景とともに日本中に記憶されたことで、「この物語を忘れないように」との想いから、地元住民やファンの手によって建立されたのがこの「水色の時道祖神」なのです。
道祖神とは?信仰のかたちと意味
長野県や特に安曇野地域では、村の入り口や道の分かれ目に「道祖神」が多く見られます。旅人の安全、疫病の侵入防止、そして良縁や子宝を願うなど、地域によってその意味はさまざまですが、人々の“境界”への意識や“つながり”への祈りが込められてきました。
通常は男女一対の姿で彫られることが多く、素朴で温かな表情が特徴です。しかし、「水色の時道祖神」は他とは一線を画します。ドラマの情景を思わせるかのように、どこか儚げで、静かに見守るような気配をまとった佇まい。テレビドラマという“新たな信仰”が、伝統的な風習と交わって生まれた稀有な例と言えるでしょう。
なぜ今、次世代に残したい風景なのか?
現代では、テレビドラマの舞台が“聖地”と呼ばれ、多くのファンが訪れる文化がありますが、1970年代にこのような取り組みが行われたことは極めて先進的でした。
「水色の時道祖神」は、単なる観光資源ではありません。時代を越えて、ある物語が人々の心に灯し続けた火が、石というかたちになったものです。自然と文化、記憶と信仰が溶け合ったこの小さな石仏は、デジタル時代の今こそ、私たちが立ち止まって見つめるべき「物語の風景」ではないでしょうか。
そして、こうした“心のランドマーク”を守り伝えていくことこそ、SDGsの目標11「住み続けられるまちづくりを」に通じる取り組みとも言えます。地域の文化や風景を未来へとつなぐことは、持続可能な社会の礎なのです。
まとめ:記憶とともにある風景を守るために
「水色の時道祖神」は、訪れる人々にとっては懐かしさと共に、どこか胸に沁みる優しさを与えてくれます。
風景は、ただ“見るもの”ではありません。“思い出すもの”“感じるもの”です。そして、ときにそれは、石仏というかたちを借りて、私たちの目の前に姿を現してくれるのです。
安曇野のこの一角に、そっとたたずむ「水色の時道祖神」。それは、時を超えて語りかけてくる“静かな声”なのかもしれません。
今を生きる私たちが、未来の世代に何を遺せるのか――その答えを見つけるヒントが、ここにあるのです。