次世代に残したい風景

雪に埋もれた戸隠神社奥社——静寂の中で出会う、神聖な風景

―2011年4月15日、雪に包まれた信仰の道を歩いて―

はじめに:なぜ今、戸隠神社・奥社を語るのか

日本には数多くの神社がありますが、標高1,200mを超える雪深い山中に、春になってもなお雪に閉ざされたままの神社があることをご存じでしょうか?
その一つが、長野県長野市に鎮座する「戸隠神社・奥社」です。

訪れたのは、2011年4月15日。
春とは名ばかりの厳しい雪景色が、そこには広がっていました。

本記事では、サステナビリティの視点から「次世代に残すべき風景」として、雪に埋もれた戸隠神社奥社の魅力をお伝えするとともに、自然と信仰が共存するこの場所の尊さを共有したいと思います。


雪に覆われた戸隠神社奥社:4月中旬でも「銀世界」

まず驚かされるのは、積雪の量です。
2011年の4月15日時点で、奥社拝殿入口には人の背丈ほどもある雪の壁がそびえ立っていました。

比較のためにご紹介すると、同じ日に訪れていた外国人観光客の方が、なぜか半袖姿で立っており、その方と並ぶと雪の壁は明らかに彼の背より高く、3メートル以上あったと記憶しています。
「どうして半袖!?」とツッコミたくなる姿でしたが、世界遺産級の自然と文化が融合する戸隠の神秘に、彼も心を動かされたのかもしれません。


スノーシューズを履いても1時間以上の道のり

通常、奥社までは片道30分〜40分ほどの道のりです。
しかし、この日の道は完全に雪に覆われており、足元はスノーシューズなしでは沈み込むような深雪。

踏み固められた道はあるものの、左右にそれれば膝まで埋まってしまいます。
しっかりと準備していても、参拝には1時間以上かかりました。

それでも、「一生に一度はこの風景を見てほしい」と心から思えるほどの荘厳な光景が、待っていました。


神様はご不在——それでも「神聖」はそこにある

戸隠神社の神様は、冬の間は「中社」に降りておられると伝えられています。
つまり、この期間、奥社の神様はご不在。

しかし、社殿を完全に包み込むような雪、静まり返った森、誰も声を出さない空間……そのすべてが、かえって「神聖」さを増幅させているように感じられました。

人の手が入らないからこそ、信仰の原点のようなものがそこに宿っているのかもしれません。


戸隠神社奥社の歴史と自然信仰

戸隠神社奥社は、日本神話「天岩戸開き神話」に登場する天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る社です。

その神が天の岩戸をこじ開け、世界に光を取り戻したという物語と、この厳しい自然環境は不思議と調和しています。
冬の長い眠りを経て、春に光を取り戻す——まさに、神話の再現です。

このような自然と信仰が溶け合う場所は、日本の文化的・精神的サステナビリティの象徴といえるのではないでしょうか。


4月でも奥社は“雪中”にあるという事実

この記事を執筆している2025年現在でも、4月中旬の戸隠神社奥社には多くの雪が残っている年がほとんどです。

本格的な雪解けは、例年ゴールデンウィーク明け。
つまり、気候変動が語られる現代においても、ここ戸隠ではなお「春が遅れてやってくる」地域があることを実感させてくれます。

地球規模の温暖化が進むなか、このような雪の残る地域が「過去の記録」にならないよう、今のうちに記録し、共有し、保護することが大切です。


インバウンドとサステナブルツーリズム

この日の奥社には、外国人観光客の姿もありました。
登山用の装備をしっかりと整えた方もいれば、なぜか半袖・スニーカー姿のツワモノも…。

それでも彼らは雪に驚き、鳥居をくぐり、神社を前に写真を撮る姿に、日本の文化と自然への強い関心を感じました。

今後はこのような訪日観光客に対して、サステナブルな観光のあり方を示すチャンスでもあると考えています。

自然を壊さない。地域の文化を尊重する。ゴミを持ち帰る。装備は事前に調べる。

そうした意識を、伝えていくことが、観光地としての「持続可能性」を守るカギとなります。


次世代に残すために——私たちにできること

戸隠神社・奥社は、単なる観光地ではありません。
信仰の地であり、自然の厳しさと美しさが凝縮された場所です。

だからこそ、次の世代にもこの風景を「体験」してほしい。

そのためには、

  • 写真や記録を残す
  • SNSやブログで共有する
  • 地元ガイドと協力した自然保護活動に参加する
  • サステナブルツーリズムの実践者となる

といった行動が、一人ひとりに求められています。


おわりに:あの日の風景を胸に

2011年4月15日。
スノーシューズで歩いた、雪に埋もれた奥社参道。
肩をすくめながら進んだ道の先に、静かにたたずむ社殿。
そして、なぜか半袖の外国人観光客との偶然の出会い。

すべてが、今も記憶に焼き付いています。

この体験を通して、「風景を残す」ということの意味を改めて考えるようになりました。
それは、単に保存することではなく、「伝えていくこと」なのだと。

未来の誰かが、同じ感動を味わえるように。
この神聖な風景が、これからも変わらずにそこにありますように。

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